先日、中国のSNSで、あるパン屋の出来事が話題になった。河南省鄭州市の小さなパン屋に、キャスターが2つとも壊れたスーツケースを引きずった男性が入ってきた。男性は店内で水を8杯続けて飲み干し、そのまま店を出ようとした。様子がおかしいと感じた店員は、何も聞かずにパンを1つ差し出した。男性は少し戸惑いながらも、それを受け取り、その場で食べきった。店を出る間際、店員はさらにもう1つ、持ち帰り用に包んだパンを手渡した。
当時パン屋内カメラの画像。出所:環球網
中国のネット上では、この店員のやさしさを称える声が広がった。たしかに、それは心温まる出来事である。ただし、この記事で注目したいのは、善意そのものではない。むしろ、この出来事の舞台が、街角の小さなパン屋だったという点である。
中国の都市では、こうしたパン屋は長い間、住宅地や商業エリアの身近な存在であった。朝食を買う場所であり、子どものおやつを買う場所であり、仕事帰りに翌朝のパンを買って帰る場所でもあった。日本の読者に分かりやすく言えば、個人ベーカリーとコンビニの中間にあるような、生活に近い小売業態である。
ところが、そのような街のパン屋が、いま中国で急速に姿を消している。パン屋が地域の生活に根を張ってきた業態であるからこそ、その大量閉店は単なる飲食店の入れ替わりではない。中国の消費者が、どこでパンを買い、どのような価格帯の商品を選び、どのチャネルを日常的に使うようになったのか。その構造変化を映し出している。
では、中国人はパンを食べなくなったのか。結論から言えば、そうではない。消えているのはパンの需要ではなく、従来型の「街のパン屋」という販売チャネルである。
中国の飲食データプラットフォームである「窄門餐眼」によれば、2026年6月16日時点で、パン・ベーカリー業界の新規開店数は過去1年間でわずか3,625店にとどまった。一方、店舗数の純減は85,667店に達した。新規開店と純減を合わせると、実際に閉店した店舗数は約8万9千店にのぼる計算になる。これが、中国メディアで語られた「1年で9万店が倒産した」という数字の内実である。
しかも、これは特殊な時点だけを切り取った数字ではない。2026年5月時点の別集計でも、直近1年の純減が8万8千店規模に達しているとの報告がある。複数のデータが、同じ方向、同じ規模の縮小を示している。業界の体感ではなく、店舗数という最も分かりやすい指標で、パン屋という業態が大きく削られているのである。
老舗ブランドの退場も、この変化の重さを物語る。かつて中国初の上場ベーカリー企業として知られた克莉丝汀(Christine)は、最盛期に1,052店を構えていた。しかし2022年末に全店舗を閉鎖し、香港証券取引所での上場廃止を経て、2025年4月に破産が宣告された。老舗の退場は、今回の閉店ラッシュが一過性の調整ではなく、業界構造そのものの組み替えであることを示している。
中国パン・ベーカリー業界、閉店ラッシュの実像。出所:編集者作成
このニュースに触れたとき、多くの日本人読者はまず「中国の消費者はパンを食べなくなったのか」と考えるだろう。しかし、業界の内側を見ていくと、閉店の背景にあるのは需要の消滅ではない。むしろ、パンという商品が、従来の「街のパン屋」という業態を経由せずに、消費者の手に届くようになったことが本質である。
中国では今、パンを買う場所がパン屋に限らなくなっている。象徴的なのが、喜茶(HEYTEA)や奈雪の茶(Nayuki)、古茗、沪上阿姨といった「新式茶飲」チェーンの存在である。これらは日本で言えば、スターバックスとタピオカ店の中間に位置するような業態である。ドリンクを軸にしながら、客単価と滞在時間を引き上げるために、パンやスイーツの併売を急速に強化してきた。
各新式茶飲ブランド。出所:Baidu
雪の茶(Nayuki)の創業者は、2025年時点で「ベーカリーはもはやお茶と同格の事業の柱である」と公言している。同社は自社工房での自家製パンに加え、専用の焼成店舗まで展開している。つまり、茶飲料チェーンは単にパンを横に置いているのではない。ドリンク、軽食、スイーツを組み合わせた日常消費の受け皿として、従来のパン屋の来店動機を取り込んでいるのである。
もう1つの震源地が、会員制倉庫型スーパーのサムズクラブ、アリババ系列の生鮮スーパーである盒馬(フーマー)、さらには胖東来(パンドーライ)や永輝スーパーといった量販店である。サムズクラブのスイスロールケーキは、中国のSNSで爆発的な話題を呼んだネット発の人気商品の代表格である。しかし、これを実際に作っているのはサムズクラブ自身ではない。
その裏側にいるのは、盒馬(フーマー)、Ole’、 喜茶(HEYTEA)にも同じ製品を卸している冷凍ベーカリー専門の受託製造企業、恩喜村という会社である。消費者の目に触れる売り場は、茶飲料チェーン、会員制倉庫店、生鮮スーパーとそれぞれ異なる。しかし、裏側では同じ工場が、複数の売り場に同じようなベーカリー商品を供給している。競争しているのは、もはやパン屋同士だけではない。 工場、量販店、茶飲料チェーン、デリバリーアプリが、かつてパン屋が握っていた顧客接点を分け合っている。
恩喜村会社の所在。出所:恩喜村ホームページ
さらに、美団(Meituan)に代表されるデリバリーアプリも、パンを「わざわざ買いに行くもの」から「ついでに届くもの」に変えた。朝食、午後のおやつ、夜の軽食という需要は残っている。しかし、その需要が店頭に歩いてくるとは限らない。多元的なチャネルと比べたとき、街の単独パン屋には集客力の面で構造的な不利がある。これが、パン屋自身の商品力とは無関係に進む「客の分散」の正体である。
需要側の変化に加えて、供給側のコスト構造も悪化している。2026年4月に中国メディアが業界横断で集計したところによると、食品飲料業界全体の営業コスト比率、すなわち原材料費・人件費などの営業コストを営業収入で割った比率は、2019年の中央値61%から、2025年には67.4%まで上昇した。
売上に対してコストが重くなり続けているということは、同じ利益を確保するために必要な販売価格が年々切り上がっているということでもある。小麦粉、乳製品、油脂、砂糖、包装資材、家賃、人件費のいずれも、個店が簡単に吸収できるものではない。
客の分散とコスト上昇という2つの圧力が同時にかかった結果、パン屋同士は限られた既存需要を奪い合う消耗戦に追い込まれた。体力のない中小の実店舗が真っ先に淘汰される一方、大手ブランドはサプライチェーンと規模を武器に、冷凍生地を使ったセントラルキッチン方式、製造の自動化、複数業態の複合経営によってコストを圧縮し、生き残りを図っている。
コスト圧力への1つの回答が、2023年前後から中国の地方都市・県級市で広がり、2025年には北京・上海などの大都市にまで波及した「2元パン」ブームである。2元は概算で約48円であり、日本の感覚では信じがたい低価格である。中でも、広東省発祥の中華風メロンパンである「菠蘿包(ポーローバオ)」は、この価格破壊の主力商品となった。
業界団体である広東省焙焼協会の調査によれば、2元の「菠蘿包(ポーローバオ)」の多くは、従来のたんぱく質含有量12%の高たんぱく質小麦粉ではなく、たんぱく質含有量10.5%の中力粉を使うことでコストを18%削減していた。あんこの配合も、業界標準の35%から22%まで切り詰め、さらに安価な芸豆(インゲン豆)ペーストを20〜30%混ぜ込んでいた。
2元パン屋。出所:大众点評網
店頭の一番目立つ場所には2元の基本商品が積み上げられている。しかし、棚の高い位置には2.5元、約60円のココナッツ・レーズン入り、3元、約72円の練乳風味など、やや高い商品も並べられていた。入口価格は2元でも、実際の客単価を5〜8元、約120〜190円まで押し上げる仕掛けである。無人セルフレジ方式で人件費そのものを削る店舗まで登場した。
しかし、コストを削り切った先には、当然ながら品質の劣化が待っていた。「まずい」「味が単調」という評判はまたたく間に広がり、失望した客は二度と戻らない。2元パンの看板を掲げた店舗の大量閉店は、価格だけで客を引きつけたビジネスモデルの限界を、そのまま体現する結果となった。
対照的に、価格を上げてでも生き残っている、あるいは伸びている業態もある。飲食業界専門メディアである「餐企老板内参」によれば、キノコとチーズを使った「鶏樅菌チーズ湯種チャバタ」、クルミ入りの厚切りトースト、モッツァレラを絡めたロールパンなど、名前を聞いただけでは味を想像しにくい複雑な商品名を掲げた高価格帯パンが勢いを増している。
各複雑かつ高価格帯のパン。出所:Baidu
生食パンは500グラムあたり30元、約720円。プレッツェル風のパンも30元。クロワッサンでさえ28元、約670円から始まる。これは単なる値上げではない。店舗側から見れば、本格的な購入を試す前の、いわば入場券である。一定以上の価格を受け入れる顧客だけを、最初から選別しているのである。
この戦略には、2つの狙いが重なっている。
1つは価値の可視化である。凝った商品名によって、消費者が値段の高さに納得できる根拠を最初から提示している。
もう1つは、高価格による顧客の選別である。艾媒諮詢のチーフアナリスト張毅の指摘通り、すでに焼き菓子を日常的に購入する習慣を持ち、品質に対して一定の対価を払う意思のある富裕層・中間層に的を絞る狙いがある。
南京在住の1995年以降生まれの消費者は、あるメディアの取材に対し、「チーズやベーコンが入った大きめの欧風パンなら20〜30元は出せる。それ以上になると、立地や素材の質を含めて総合的に判断する」と語っている。価格に敏感ではある。しかし、安さだけで判断しているわけではない。ここに、中国のベーカリー市場を単純な低価格市場として見てはならない理由がある。
この動きは数字にも表れている。ユーロモニターの発表では、2025年の中国の大都市における高級ベーカリー市場は前年比28%拡大し、客単価は45元、約1,080円に達した。これは2020年の27.78元、約667円から62%の上昇であり、値上げにもかかわらず市場そのものが拡大していることを示している。
この「安さで潰れ、高さで生き残る」という構図は、実は日本のパン業界がすでに一度経験している展開でもある。2013年から2018年前後にかけて、日本では「乃が美」や「銀座に志かわ」といった、水と小麦粉と塩だけで作る高級生食パンの専門店が全国に急拡大した。500グラムあたり800円という当時としては破格の価格でありながら、行列ができるほどの人気を博した。
日本の「乃が美」、「銀座に志かわ」高級生食パン。出所:株式会社SENSACION、北海道ファンマガジン
フランチャイズ方式によって、最盛期には全国で1,000〜1,500店規模にまで膨れ上がった。しかし2022年以降、閉店が相次いだ。乃が美は最盛期の116店から70店前後まで、銀座に志かわも最盛期の140店から50店程度まで縮小している。原因として指摘されているのは、フランチャイズ加盟店に製造・販売・廃棄ロスの負担が集中する構造、原材料や光熱費の高騰、そして市場が飽和したにもかかわらず出店が続いたことである。
この経緯は、中国の高級パン市場にとって決して他人事ではない。名前の目新しさや価格の高さだけで支持を集めるビジネスモデルは、供給側の実質的なコスト構造とブランド運営体力が伴わなければ、日本の高級食パンと同じ道をたどりかねない。高価格は戦略であり得るが、高価格そのものは競争力ではない。
一方、日本には対照的な成功例もある。パン業界で国内シェア約4割を握る山崎製パンは、自社のコンビニエンスストアであるデイリーヤマザキも含め、冷凍生地の技術革新と製造の標準化によって、手頃な価格と一定品質の両立を実現してきた。
セブン-イレブンも2026年に入り、パン売り場全体を見直し、製造工程の最適化によって「手頃な価格」と「専門店品質」を両立させる方針を打ち出している。低価格帯で勝ち残るためには、価格を下げること自体ではなく、その裏側にある供給網と製造技術の強さが条件になる。中国の2元パンが見落としていたのは、まさにこの部分である。

セブン-イレブンのパン売り場。出所:ブランスリー
価格を下げることは誰にでもできる。難しいのは、価格を下げた後も品質を崩さず、廃棄ロスを抑え、店舗オペレーションを回し、物流と製造を安定させることである。日本のパン市場が示した教訓は、中国市場を読むうえでも有効である。低価格は、工場・物流・店舗運営の総合力があって初めて、持続的な戦略になる。
克莉丝汀(Christine)の破産は、この業界の転換点を象徴する出来事として振り返る価値がある。同社は2012年に香港証券取引所へ上場し、中国初の上場ベーカリー企業として知られた。ピーク時には1,052店、年間売上13.88億元、約333億円を誇った。
しかし2013年以降、9年連続で赤字を計上した。2022年末までに全店舗を閉鎖し、2023年には店舗賃料、仕入れ代金、従業員給与など約5,700万元、約13.7億円の支払いが滞った。上海の不動産2件を約1,689万元、約4.1億円で売却して資金を捻出したものの、上場廃止、そして2025年4月の破産に至った。
Christine破産のニュース。出所:Weibo
ここで重要なのは、老舗であること、店舗数が多いこと、上場企業であることが、必ずしも生き残りの保証にならなかった点である。過去に築いた店舗網は、消費者の来店動機が分散する局面では、むしろ固定費の重さとして跳ね返る。ブランドの歴史は資産であるが、業態転換への対応が遅れれば、その資産は負担にもなる。
一方で、既存の有力ブランドの中には、パンそのものの外側に活路を求める動きもある。「桃李パン」や「鮑師傅」といった従来型のベーカリーブランドが、ファストフードや洋食といった隣接業態への展開を模索しているとの観測もある。単一業態としての「パン屋」という定義そのものが揺らぎ始めているのである。
好利来のように、健康志向の飲料ブランドと組み、低糖・低カロリーの新商品を投入し、若年層向けにブランドを再構築する動きも見られる。これらの動きが示しているのは、パンを売る企業が、もはや「パンだけ」を売っていては十分ではないということである。朝食、間食、健康、ギフト、SNS映え、軽食、ドリンクとの組み合わせ。消費者がパンに求める役割は、かつてよりも細かく分かれている。
したがって、価格帯を上げるか下げるかという選択そのものが本質ではない。真にパン屋を長く存続させているのは、原材料の配合や価格設定だけではなく、運営効率とサプライチェーン能力を含めた総合力である。清潔なラベル表示、シンプルな配合、安定した品質の乳原料といった中国国内の製造技術の底上げも進んでいる。これを前提にすれば、パン屋は自らの客層に合わせて配合を最適化し、安全性、低糖、低GI、すなわち血糖値上昇の緩やかさといった需要を取り込んだ差別化商品を作ることができる。
ここまでの数字を並べると、逆説的な事実が見えてくる。艾媒諮詢が2026年6月に発表した調査によれば、中国の焙焼食品市場規模は2025年に6,621.5億元、約15.9兆円に達しており、2029年には8,595.6億元、約20.6兆円まで拡大すると見込まれている。9万店が消えたにもかかわらず、市場規模そのものは拡大基調にある。
中国の焙焼食品市場規模。出所:艾媒諮詢
「窄門餐眼」の別の集計では、パン屋の客単価20元以下の店舗が全体の32.41%、20〜40元が41.91%を占める。この2つの価格帯が業界の主流を形成する一方で、40〜60元が13.56%、60〜80元が6.27%、80元以上も5.85%存在している。価格帯そのものは、すでに大きく分散している。
つまり、9万店という閉店数の裏側で、市場は縮んでいるのではない。選別が進んでいるのである。安さだけを武器にした店、あるいは高さに見合う裏付けを持たない店から順に姿を消し、価格帯にかかわらず運営効率と供給体制を整えたブランドが、残された需要を取り込んでいる。
日本の食品・飲料業界にとって、この構図は対岸の火事ではない。中国市場を「安ければ売れる」「話題になれば売れる」という単純な図式で捉えると、判断を誤る局面に来ている。低価格帯には低価格帯の勝ち方があり、高価格帯には高価格帯の勝ち方がある。しかし、いずれの場合も、表に見える価格や商品名だけで勝敗が決まるわけではない。
むしろ日本企業が高級食パンブームとその収束、コンビニパンの供給網強化という形ですでに経験してきた教訓こそが、中国のパン屋の淘汰劇を読み解く鍵になる。価格帯の選択以上に、裏側の生産体制、物流、原料調達、店舗運営、ブランドの継続力が勝負を分ける。
1年で9万店が消えたという数字は、確かに衝撃的である。しかし、それを「中国人がパンを食べなくなった」と読むのは浅い。消費者はパンをやめたのではない。パンを買う場所を変え、パンに求める価値を変え、パン屋に対する選別基準を厳しくしたのである。中国のパン市場は縮んでいない。むしろ、誰がパンを作り、どこで売り、どの価格帯で、どの品質を、どの顧客に届けるのかという競争の土俵が、静かに、しかし大きく変わっているのである。
※ 中国パン・ベーカリー業界、閉店ラッシュの実像本文中の金額換算は、記事作成時点である2026年7月の概算レート、1元約24円に基づく。
References
1.商業評論・小売現場「1年で9万店が閉店、パンは食べられなくなったのか」2026年7月、虎嗅APP転載記事
2.飲食企業オーナー向け専門メディア「1年で9万店が倒れ、ベーカリー店主はなお踏みとどまっている」2026年、飲食業界専門メディア
3.快消品網「2026年ベーカリー白書発表、1,000億元市場が野蛮成長に別れを告げる」2026年、ユーロモニター白書解説
4.艾媒諮詢「2026年 世界および中国の健康ベーカリー食品市場研究報告」2026年6月、市場調査機関レポート
5.新浪財経/中華網「1年で9万店が閉店、5か月で200万元の赤字、かつての高収益ビジネスが相次ぎ消失」2026年5月、経済メディア
6.Foodaily毎日食品「倒れた克莉丝汀(Christine)と、3年ごとに洗い替えられるベーカリー業界」ベーカリー業界専門メディア
7.note「高級食パン専門店が次々と倒産する理由」2025年、コラム記事
8.ITmedia ビジネス「乃が美も嵜本bakeryも、高級食パンが陥るブームから大量閉店への流れ」2023年4月、経済メディア
9.食品新聞WEB版「セブン-イレブン・ジャパン、パンカテゴリー全面見直し。価格戦略と品質設計を再構築」2026年4月、業界専門メディア
10.新浪科技「サムズクラブのスイスロールに新たな競合」2025年4月、財経メディア。受託製造企業の動向に関する記事
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